あまり身内の話をするのはねって思うのですが(特にうちの家族は世間体的にやめろというけど)、ここ1週間くらいでこの話をするともれなくビックリされるので、個人的にはもうネタ話になっています。
これから書くことを怒っているとか根に持っているとかいうよりも、もう笑いに昇華されている話なので、軽い気持ちで読んでください(笑)
今回、父親のお葬式をしてから、知人や患者さんにお話をする際にこの話が出るんですけど、みなさん引くというか驚くんですよね。
三つの出来事をインパクトが弱い順に書いていこうと思います。
世間がどう思うとかなんとかよりも、うちの家族がこれを【おかしいと思わない】ことや、これに対して言い訳をすることがちょっとずれているんだなって思ってくれるとありがたいのですが、多分何も変わらないと思います(笑)
①誰がための四十九日
四十九日というのは誰のためにするのでしょうか?
一つは故人のため、そして残された遺族のためですよね。
仏教では亡くなった方の魂というのは49日間(7日が7週間分)で仏となりあの世に行くという考え方です。
今回葬儀を行っていただいた宗派ではちょっと考え方が違いまして、亡くなった瞬間に仏になりあの世にはいくのですが、49日で遺族がそのことに向き合っていく期間みたいなお話をされていた気がします。
今回の四九日は8月30日の水曜日。
そこで、葬儀の前にお寺の方が「四十九日」はどうなさいますか?ということを聞きにいらっしゃいました。
母親は。四十九日は家族だけでやると言っていたので(のちに変わったらしいがその時はそう言っていた)、私は家族だけなら本来の四十九日である8月30日が良いのではないかと言いました。
母親達は「その前の週末に前倒ししても良いことになっているのよ」みたいに言っていたが、お寺の方に「そういうものなのですか?」と聞いたところ『そういう方もいらっしゃいますね』と言っていた。
ここで、その四十九日の前倒しについての私の見解を書こうと思うのですが、私は仏教で四十九日と決まっているものなのであればなるべくその日にやったほうがいいと思っています。
それは葬儀=儀式だからですね。
仏教でお葬式をやると決めたのであればその儀式に乗っとるのが礼儀であり故人への手向けだと思っています。
【その前の週末に前倒ししても良いことになっている】というのはあくまでも信徒ではない人が自分たちの都合で勝手に決めた、もしくはお寺側の妥協によってそうなったものであると思っています。
なので、私がお寺の方に聞いた時に『四十九日直前の週末でも大丈夫ですよ』というのであればそういうことを拘っていないお寺だと思うのですが、『そういう方もいらっしゃいますね』と言ったということは本当はいいことだと思っていないということです。
ということで、27日の日曜日か30日の水曜日かどっちにしようという話になった。
その時に兄から驚きの発言が飛び出ました。
「嫁の仕事と子供の学校を休ませたくないから27日がいい」
私個人としてはドン引きなんですよね。
あなたの嫁と子供のためにこの葬儀をやっているんだこの人はって思ったのです。
で、私の母親はまだ仕事をしていまして、日曜は仕事だと思っていたのと、私も日曜日はここのお店があるので、「日曜日だと自分も仕事を休むことになるんだけど」と言ったのですが、こっちは二人だとか何とか言い始めまして、キレ始めるんですね、さらになぜかそこに母親もキレ始めまして。
30日の水曜日だって私は午後から銀座で仕事なのですが、、、多分どっちにしても私は仕事を休むことになるんですけど、この人たちは何をキレているんだろうって正直ドン引きしていました。
そもそも、今回の故人って一応私の父親でもあるんですよね。
どうしても休めない仕事などがあるので、申し訳ないけど仕事を休んでくれないかと相談されれば私も仕方ないなと休んだと思います。
「何であなたたちが休みたくないから私が休むのが当たり前だと思っているの?休みの都合がつけづらいから都合つけてくれないかって相談するものじゃないの?」と言っても、そんなのはただの言い方の違いだとかあなたはそういうのを気にしすぎなのとか何とか手がつけられないくらいキレ散らかされまして。
でも、それって言い方じゃないですよね、考え方なんです。
私が気にしすぎなんじゃなくて、あなた達が人のことをバカにしすぎなんです。
仕事を休んでもらうのが申し訳ないって思うことと、俺の家族が休みたくないからお前が休みのが当たり前と思っているかの違いです。
言い方ではないです、考え方ですよね?
ただ、別に私はいいんですよ、だって一応実の親の法事ですよ。
そりゃ仕事も休みますよ。
でも、その実の親の法事でさえも妻と子供を休ませたくないって何を考えているのかさっぱり分かりません。
そしてさらにこんな一言が出てきます。
兄「親の葬式に何をわがまま言っているんだ、葬式だぞ!」
母「あなたそれでよく店なんてやれるわね」
・・・・・・・・・・・・・いや、葬式なのにその四十九日に嫁の仕事を休ませたくないとか、子供の学校がとか言っているのあなたですよ?
血の繋がっていない妻と孫の学校のために実子の私が仕事を休むのが当然と思っている態度と、妻のアルバイトを休ませたくないために有給休暇などもない個人事業主の私の仕事を一日丸々休ませるってどっちが大変だと思っているんだろうと。
夫の法事で休めないアルバイトとか祖父の法事で休めない学校なんて聞いたことないし、そんな職場なんだったら即転職でしょう。
母に関しては、あなたの価値観に共感する人たちがうちのお客さんじゃないですから。
むしろあなたよりも接客はできると思っていますよ私。
あなたのわがままを聞くのがお店は当然と考えているんですね。
ともう内心うんざりしながら話をしていました。
ちなみに、この話は大前提として【四十九日は家族だけでやる】という話だったから私はこういう主張をしました。
初めから親戚の方々がいらっしゃるのであれば、それはみなさまきてくださる方にお仕事を休ませるわけにはいきませんから自動的に27日の日曜日に私も賛成していました。
②三人目がいない
私は知らなかった話なんですけどね、どうやら葬儀で故人に対して家族がお手紙を書いて朗読し、それを最後にお棺に入れるというものがあったらしいんですよ。
前の日からお手紙が何たらって言っている話は聞こえてきたので、棺に入れる手紙を書いてたんだなって思ってたんです。
で、葬儀の中でお坊さんが突然「家族の方にお手紙を書いてもらいましたので、三人の方に読んでいただきます」って言い始めましてね。
私は「あぁ、これだったのね」と思ったと同時に「ん?三人?」って思ったんです。
だって私聞いてませんし書いていませんから。
はじめに兄が泣きながら読み、次に母も泣きながら読んでいるのですが、私はその先もわかっているのでドン引きです。
そして三人目、周りの人は私の名前が呼ばれるのだと思いきや「お孫さん」と。
お隣の方がチラチラ見てくるのはわかっていましたが、私は無言で首を傾げるだけ。
後日、従姉妹と話した時も「親から聞いたんだけど、手紙なんで読まなかったの?」と聞かれ、
『そんなものがあること自体聞いていないから』と答えたら、「あぁいつもの感じね」で笑って会話終了。
これが「4人の方に書いてもらいました」だったら孫が読むのもわかるんですよ。
でも、その3人目がいないわけですよね、実子の2人目が(笑)
私は、私が書かなかったと思われるのは嫌なので、聞かれれば正直に答えるわけですよ。
そうすると、兄と母のズレた感覚が浮き彫りになるわけですよね。
多分、手紙書く?と言われればなんか思い出して書いたかもしれないですし、あまり思うことはないから書かないと言ったかもしれません。
でも、【手紙を読むということ自体を知らなかった】となればそりゃ引きますよね(笑)
「あの子は父と仲悪かったから書かないと思ったから教えなかった」って言ったとしても、もうそんなのは嫁いびりの姑の世迷言のように聞こえるわけです。
私個人としてはいい笑い話でもありますし、そもそもお通夜の後にお坊さんから「お父様の思い出ってありますか?」と聞かれて『正直思い浮かびません』って親戚がいる前で話しているので、それ自体は周知の事実でみんなわかっていることなのですが、【手紙を読むということ自体を教えてなかった】って全然違う話ですよね(笑)
③遺族席に席がない
これが、このお葬式の話をする時に一番驚かれるのです。
お葬式って親族や故人のお友達などがいらっしゃるわけですよね。
当日は37度を超える暑さだったのと、お寺の構造上入り口がわかりづらいので、私が外に出てご挨拶をして入り口を案内して自販機から20本ほどのお水を買ってきて配ってみたいなことをしていたんですよ。
参加人数もそんなにいなかったので、すぐに参列者が集まり、式が始まる時間になるわけです。
うちの家族達はすでに席についているのですが、私はまだやらなければいけないなと思うことがあって受付の親戚と話していたのですが、その時点で遺族席に私の席がないんですよ(笑)
俗にいう右手の一番前の席。
会場には4席3列が左右にあり、右の一番前の席が遺族の席。
そこに左から喪主の兄、母(故人の妻)、兄の嫁、兄の子供が座っているんです。
受付にいた親戚に「ねぇ、遺族の席に自分の場所がないんだけど」って言ったらみんなすごく驚いて、笑いながら『嘘でしょ?本当に?』って言いながらそこを見ると『本当だ』って笑っているわけですよ。
つまり、いつもの事すぎて笑い事で終わっちゃうわけですよね。
『大丈夫なの?』って聞かれましたが、「別に席なんてどこでもいいし」って言って、結局下手の席に座るわけですよね。
そして式が始まろうとした瞬間にそそくさと兄の嫁が二列目に移動するわけですよ。
この話、多分うちの家族は「忘れていただけ」とか「気づかなかっただけ」と言った上で「ちゃんと席あけたでしょ」っていうと思うんです。
この話が怖いのはそこじゃないんですよ。
みなさん誰かのお葬式に行った時に、喪主や遺族が座る席に座りませんよね?
それは「失礼だから」座らないんです。
例えはじめは休むために座っていたとしても、式が始まりそうになった瞬間に自分の席に戻り、遺族が来る頃には空けてありますよね?
兄も母も兄嫁も兄の子供も「自分たちがそこに座っていることに違和感が全くなかった」ということなんです。
つまり彼らにとって、私は意識の中にはいないんですよね(笑)
そうでなければ式が始まって私が他の席に座っているのを見るまで気づかないなんてことないじゃないですか。
これが超田舎の本家分家精度が残っているような場所ならわかるんですよ。
でも、母も兄も私の祖母が亡くなった時なんかに遺族席に家族が座るなんてことなかったと思うんですよ。
あくまでの祖母の子供である長男、次男、三男、長女(母)が遺族の席にすわる人であって、その家族はその後ろに座るわけですよね。
で、今回の兄、母、兄嫁、兄の子の席が【正しい】と思っているなら、式が始まって私が別の席に座っていても何とも思わないはずなんですよ。
つまり、4つある席に兄と母と私が座る、親子が離れないように兄の嫁と兄の子供は二列目に座るということが正しいっていうことはわかっているはずなんですよね。
でも、私の席がなかったということは「私は空気ちゃん」ということなんです(笑)
もう、これってサイコスリラーの映画とかで金属音と共に映し出される恐怖の場面みたいになっているんですよ(笑)
私もまさか葬式でこんなことが起こるなんて思ってもいませんでした。
この三つの事項を本人達には話していません。
話したところでどうせ逆ギレ始めるだけですし、「あなたがこんなことを気にしすぎなの」っていうのは目に見えていますから。
客観的にこれをみた時に、ある程度お葬式というものをわかっている方なら「気づかなかったけど自分たちが間違っていた」って思うと思うんですね。
でも、きっとうちの家族は自分たちは悪くない、悪いのはこんなことを気にするあなただっていうんですよね。
お葬式とかそういうシリアスな場面ってその人達の本性みたいなものが炙り出される気がするんです。
やっぱり人が一番怖いなって思った夏のホラー体験でした(笑)