勉強ってなんでしょうか? | 中野区東中野の鍼灸院 Five Elements

勉強ってなんでしょうか?

夏休みが終わってしまったということで、私の夏休みの宿題についての思い出話でも。

小学生の時の夏休みの宿題といえば、ドリルと日記、読書感想文、図画工作、理科実験でしょうか。

 

ドリルはなんとなく終わらせているはずがやはり最後の方に残ってしまい、ドリルの「この問題を解きなさい」と言う命令口調に腹を立て、それでもなんとか終わらせるというのがセオリーでした。

読書感想文は。。。。。。。どうやって終わらせていたのかあまり覚えていません。

そもそも、読書感想文ってどうやって書くものなのかもわかっていませんでした。

日記に関しては理不尽なものだと感じていましたね、だって夏休みなんて学校に行っている時以上に何もしていません。

NHKの教育番組を心ゆくまで眺め、ゴロゴロして昼ごはんを食べて、友達と遊ぶ時は夕方まで遊んで、お風呂はいって夕ご飯食べてテレビみて寝る。

そんな毎日です。

どこかの田舎町でもない限りは毎日がドキドキワクワクの裏山探検なんてありませんし、そうだとしてもそれが日常なわけですから絵日記も「昨日と同じ」になるのが当然です。

大人になると日々仕事でいろいろあって、それをつらつらと徒然なるままに書き留めますが、その日記を他の人に見せたい人はあまりいないでしょう。

対外的なブログだとしても、それは大人だからそれだけ書くことがあるんです。

毎日がハッピーで楽しい小学生の絵日記なんてあるとしたら虚構にあふれているのではないかと思います。

さて、それでは残りの二つはというと、理科実験は毎年友達の家に集まって、24時間の温度変化を調べるとか、ちょっとした工作を作るということをしていて、友達の家で夜中までみんなで一緒にいるというのが楽しかった記憶があります。

図画工作に関しては・・・・・・・・・・

こっちの方が何をやったのか覚えていません。

ただ、小学校の時の図工の先生がそれはそれは恐ろしい先生で、悪い子には電動糸鋸で脅すという物凄い大技を出してくる先生でして、とにかくその先生に怒られないようなものを作る使命感でいっぱいでした。

もう図工室は学校の7不思議なんてものではなく、リアルに糸鋸が強いだけの教室でした。

 

そんな中でも、やはりなんで勉強をするんだろうという気持ちは強かったです。

それは中学生の時も高校生の時も同じでした、大学に行く意味なんてわかりませんでした。

なんで勉強をするのか。

私が子供の頃はバブリーな時代でしたから、いい高校に入っていい大学に入っていい会社に入って幸せになる。

今でいうお約束な理由が勉強の理由だと言われていました。

でも、そのそもいい学校だとかいい会社なんてどんなものなのか想像できませんよね?

それを子供に説明できる大人も少ないと思います、そうすると大人は「黙って大人の言うことを聞いていればいい」と言います。

親に口答えするなとか、大人に反抗するなとか。

自分が大人になってみると、そういう大人ほど滑稽なものはないということがわかってくるのです。

悪いことをすると誰かに怒られるからしてはいけないとか、いうことを聞かない子は悪い子だとか、嘘をついてはいけない、約束を破ってはいけないとか・・・

でも、それが何でいけないのかは教えてくれません、怒られるからしてはいけないのなら、なぜ怒られるのかは教えてくれません。

 

昔、「女王の教室」と言うドラマがありました。

ものすごいクレームを受けましたが最後まで放送をしたのですが、それを見た時にとても感動をしたことを覚えています。

どうして勉強をしなくてはいけないんでしょう。

人は生きていく上でわからないことや不思議なことに出会います、そのわからないことをもっと知りたい、どうしてこうなるのかを理解したいと思います。

そう思って行動することが勉強なのです。

勉強はしなきゃいけないことではありません、したいと思うものです。

高校生になるまでの勉強というのは意味が違います。

しかし、勉強をしたいと思うことの基礎知識がそれにあたり、基礎知識がなくては知りたいと思っても理解ができないのです。

勉強は立派な大人になるためにするものです、いろんなことに興味を示し、いろんな経験をしていき、様々なことに理解を示し、いろんな角度で物事を見て主観だけで物事を見ないために必要なことなんです。

でも、子供の頃ってまだそんなことはわかりません、だから、まずは勉強をするんですよね。

ちょっと前に、親戚のお子さんとこういう話になりました。

その子は成績も悪く、勉強も嫌いです。

何かしたいことある?って聞くと、洋服のデザインとかをしたいと言います。

なので、デザインをするためにも勉強は必要、デザインの学校に入るためにも勉強は必要、デザインのセンスというものはそれだけで孤立しているものではなく、日頃の勉強の中から少しづつカケラを集めてデザインに生かすことが必要。

勉強をなんでするのかはわからないかもしれないけど、今は専門学校に行くための勉強をしてみたらどうかと。

そして、デザインの学校に行っても、デザイナーになれるのはほんの一握り、自分の希望した仕事に就けない可能性のが高いと思うけど、それでもやりたいならやってみるといいと話をしました。

正直ハードルの高いことを言ってしまったかもしれませんが、少し飲み込んでくれたんだと思います。

 

私の周りには様々な人がいます。

東大卒で大手企業に入った人もいれば、大学を出たけど飲食店を経営している人もいます。

いい会社に入れば、社内の荒波に揉まれます。

権力争いばかりの会社もあります。

人には企業に合う人と会わない人がいます、私は典型的に合わない人間です(笑)

でも、私みたいにお店を経営するにしても、鍼灸という勉強は散々してきました。

 

こう言うとあまりにも一般的な答えになってしまうかもしれませんが、人生の選択肢を広げる為に、人として成長する為に勉強ってするもんなんですよ、サインコサインとかここ20年以上使った記憶はありませんけどね(笑)

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