小さい頃から今まで、一番印象に残っている映画はと言われればこれです。
バスチアンと言う少年がとある本をきっかけに、本の中の世界「ファンタージェン」に入り冒険をするというもの。
弱虫のバスチアンはいじめに耐えられなくなり学校の倉庫で本屋さんに借りたネバーエンディングストーリーと言う名前の本を読みます。
そうすると、ネバーエンディングストーリーの本の中に入ってしまい、大冒険の末に現実に戻ってきていじめっこに仕返しをするというものなのです。
当時としては特撮などを使い驚くほど綺麗なファンタジーの世界を映像化し、あたかもファンタージェンにいるかのような雰囲気になり、それはそれは感動したものでした。
このネバーエンディングストーリーの主題歌は今でも少し聞くとわかるほどに有名ですよね。
ネバーエンディングストーリーには続編が2と3があり、両方ともあまり高評価は得られませんでした。
しかしこの映画、実は様々な確執の渦巻いている作品なんですね。
元となっているのはミヒャエル・エンデさんの書いた本、名前は同じくネバーエンディングストーリー。
邦題では「果てしない物語」です。
この原作の本を読むと分かるのですが、映画の1と2を合わせた話にもう少し追加したものがもともと一つのお話なのです(ちなみに、映画の内容は原作とはかなり異なり、2に関しては原作をかすりはしているものの、全く違うものです。3に関しては完全なるオリジナルです。)。
そして、映画のネバーエンディングストーリーを見た原作者のミヒャエル・エンデさんは激怒したそうです。
このネバーエンディングストーリーというお話は、物語を通じてバスチアンと言う男の子が自ら必死に成長していく物語なのです。
本を読み終わった時にバスチアンは大人になるのですが、いろいろな仕掛けがあり読んでいる人も物語の一部としてハラハラドキドキできるのです。
ファンタージェンと言うのは、人々の夢や想像力の世界なんです夢や希望のつまった世界。
そして、ファンタージェンの生き物は人間の世界には入れないんですね。
しかーし、映画では最後にファルコンと言う龍が現実世界に来ていじめっこに仕返しをしてしまうのです。
現実に来ることもタブーなら、大人になりはじめ善悪の分別のつき始めているバスチアンが仕返しをするなんてことはしないはずなんですよね。
そこらへんが原作者を怒らせてしまった要因のようです。
この映画の裏話として、監督は黒澤明さんでなければ映画化はしない、登場人物はすべてドイツ人でなくてはいけないが、幼心の君と言うファンタージェンのプリンセスは白装束を着た日本人でなければいけない、ファルコンは神秘的な龍でなければいけないなどの条件があったそうなのですが、ことごとく約束は破られしかも内容は物語の前半だけというものになってしまったそうです。
原作の果てしない物語というのは本当にとてもよくできていて、物語の前半部分はネバーエンディングストーリーを読んでいるバスチアンを見ている視点で進んでいきます。
しかし、後半になると読者は前半部分のバスチアンと同じ視点になり、ネバーエンディングストーリーを読んでいてネバーエンディングストーリーに入ってしまったバスチアンをネバーエンディングストーリーと言う本を読んで見ているという複雑な状況になるのです。
前半部分のバスチアンの役を今度は読者がそのまま請け負うという感じですかね。
本は赤と緑の二色刷りになっていて、バスチアンが今どこにいて、自分がどの役割を担っているのかをわかるようにしてあります。
人は成長していきます、悩みやコンプレックスも克服していきます。
しかし、悩みや克服したコンプレックスを解決すると、人は以前の自分の状態を忘れてしまいます。
いじめられっこがいじめっこになってしまう心境と同じですね。
大人にも同じことが言えるんだと思います。
会社に入り、自分が新人だった時のことは立場が上になると忘れてしまいがちです。
そういうものを忘れてはいけないんですよということを教えてくれる本です。
文庫でも売っていますが、本当に楽しむためには赤い色で本のおもて表紙に蛇が互いの尾を噛んでいる裁縫のされている正式なものを読んでみることをお勧めします(写真の本は映画のもので販売されているものではありません)。
これは、ミヒャエル・エンデさんがこだわって作ったものであり、物語中にバスチアンが読んでいる本が自分の読んでいる本と同じであるとうことがわかるように、物語中の本と全く同じように作られています。
それと、文庫本だと赤と緑の文字区別がないので少し分かりづらいかもしれませんね。
夏休みの読書感想文には最適ですが、むしろ大人が読むほうが意図が分かりやすく感動できると思います。