たまに、「鍼とお灸って何が違うんですか?」と聞かれることがあります。
もちろん私も鍼灸師である以上鍼もお灸もいろいろ使います。
まず、ベースとしてのお話として、鍼とは針と同じで体に刺すものですね。
お灸とは温熱刺激として体を温めるために使います。
ちなみに、よく鍼灸院なんて言われるので鍼灸免許を持っていると思われるのですが・・・
はり師ときゅう師は別のものなんです、ただし、同じテストで両方を受けるためにほぼ両方取得できるのですが、中にははり師しかないとか、きゅう師しかないとかっていうこともあります。
鍼灸師の中には鍼さえ使えればきゅう師なんていらないじゃんっていう人もいるのですが、実際はそんなことはありません。
ではどうやって使い分けるのでしょうか?
東洋医学の概念として補瀉という考え方があります。
補と瀉・・・
【補】とはそのままおぎなう事です、人の体に足りないもの、使い過ぎてしまったもの、そういうものを入れ込んであげるのが補です。
【瀉】とは捨てること、余分なもの、旺盛になりすぎたものを捨てるのが瀉です。
東洋医学では、体全体が均一でちょうど良いバランスを保っているのがベストな状態だと考えます。
天秤の上の二つのお皿の上に陰の氣と陽の氣がバランスを保って水平になっているのが健康という状態。
陰の氣が少なくなると陽の氣が乗っているお皿が下にさがってしまうので、陰の氣を補わなくてはいけない。
逆に陰の氣が多くなってしまうと陰の氣が乗っているお皿が下にさがってしまうので、陰の氣を捨てなくてはいけない。
陰の氣が多くなってしまった場合に陽の氣を補えばいいと言う考え方もできますが、多すぎるのもよくなかったりもしますし、入ってきた陰の氣がいい氣だけだとは限らないのです。
さて、その補瀉の調整を鍼と灸を使うのですが、これからは個人的なイメージも入ってきますし、漠然とした表現が入ってきますがご了承ください。
まず、鍼に関しては鍼と灸を比べた時に、鍼の方が瀉として使うことが多いです。
どうしても体に刺すということもありますし、張っている筋肉を緩めたりすることに使うことが多いからです。
しかし、もちろん補としても使いますし、補瀉と言う考え方以外にも氣を導いたり様々な使い方をします。
とても複雑な世界ですので、例えば鍼を刺した状態で素早く錐で穴を開けるように回せば補、ゆっくりと回せば瀉と言うように様々な部分で補瀉はあるのですが、そこらへんのことではなく鍼と灸の比較のお話ですね。
お灸は、外部から熱を入れるという方法ですから、補として使うことが多いです。
ただし、弱い刺激は補、強い刺激は瀉と言う考え方もある通り、暖かい柔らかいお灸は補であり、鋭く熱いお灸は瀉と言う使い方をします。
例えば、疲れていて氣が足りないなという時には全体的に温めるお灸をしますし、風邪や寒邪が入り込んでしまった時にはチクリと刺すような熱さのお灸で邪を取り除きます。
お灸にはかなり様々なものがあり、わざと火傷を作り膿ませることで免疫を高めましょうというお灸や、うおの目を取るために焼ききりましょうと言うお灸。
逆にじっくりとあたためたり、生姜やにんにくの上にお灸をのせて温めながら薬効成分を入れましょうというお灸もあります。
私が日頃使っているお灸は、このような暖かくして氣を入れましょうというお灸を使うことが殆どです。
しかし、たまには瀉のお灸も使います、うおの目に対するお灸なんかは足が黒くなるくらいまでお灸を何回も何回もして焼きます(黒いのは皮膚が焦げているというよりもお灸の墨がついているだけなのですが)、ですが、この場合はあまり熱くありません、うおの目が厚いので熱があまり通らないんですね。
お灸はどうしても火傷を作りやすいので嫌がったり、お灸をできない鍼灸師もいます。
熱いお灸をする時には、お米くらいの大きさにひねるのですが、それが苦手みたいです。
硬すぎるとものすごく熱くなるので。
しかし、時には使わなくてはいけません、私たちの仕事は技術職みたいなものですから様々な場面に適したものを使わなくてはいけないのです。
そのために日頃から練習をするのですが、「やらない」のと「できない」のは違うんですね。
鍼もお灸も使い方によってはとても有用なものなので、日頃から腕は磨いておきたいものです。
ちなみに、私はどちらかというとお灸を多用する方でして、同業の鍼灸師にも驚かれる量を使ったりします。
鍼よりもコストがかかるのでそんなに使って大丈夫?なんて言われたりもするのですが・・・
そこらへんはなんとか経営努力で頑張れればいいななんて思っています。
