とある本で読んだことなのですが、これは真髄をついているなと思ったことなので書いてみます。
というのも、ストレスを抱えやすい人にとても多い事柄とでも言いましょうか・・・
その本(家に置いてあるので題名は忘れてしまいました)にはこんなようなことが書いてあります。
人に嫌われることを恐れてはいけない。
周りが自分のことをどう思っているかを気にすることに意味はないから。
周りの全員に好かれることが不可能なように、周りの全員に嫌われることも不可能である。
世間体を気にしすぎる人は、結局誰もいない相手にただただ怯えて無意味に怖がっているだけということなのです。
結局、誰もいない相手に怯えているだけなので、ひたすらストレスを感じ自分だけが潰されていく。
私も一時期鬱やノイローゼになったことがあります。
幼少の頃のトラウマみたいなものからなのか、人の言葉鵜呑みにしすぎて冗談で言ったことも全てどストレートに受け止めてしまう青年期でした。
仕事場の人とかにどう思われているのかわからなくて、誰かに嫌われるのが怖い青年でした。
ある日、友達にしつこく勧められて精神科に行ったところ。。。
鬱とノイローゼと診断されました。
その時のカウンセラーの先生に、今までの疑問、生きているという意味など様々なことを話した気がします。
そして、ガツンとくる一言を言われました。
「人がどう思っているかなんて考えることほど馬鹿なことはないの、あなたは今自分が何を考えているかわかる?説明できないでしょ?自分のことだって自分にはわからないんだから、人がどう思っているとか人にどう思われたいとか思ったてわかるはずないじゃないの。それを知ろうと思うことの方がおこがましいと思うの。」
と。
よくおばちゃん達が口にする言葉に「ご近所に笑われる」とか、「親戚の笑い者になる」とかって言いますけど、そもそもご近所の人がどんな服着てるとかどんな髪型してるとか、子供がどんなとか・・・
小馬鹿にしてしょっちゅう笑ってますか?
結局、自分がそうされたら怖いという強迫観念があるだけで、そんなことを笑って馬鹿にすることなんてないですよね?
もし、自分のことや自分の家族のことを馬鹿にして笑い者にする親戚や近所の人や友達がいると仮定しましょう。
そんな人と付き合うのをやめればいいだけです。
そんなことで盛り上がるのはそういう人たちなのだから、こっちから願い下げればいいだけです。
朱に交われば朱くなると言う言葉通り、そう言う人と一緒になっていると、それこそ周りからはレッテルを貼られてしまうだけではないでしょうか。
嫌われる勇気というのは、本当に嫌われ者になれということではありません。
周りの人全員から好かれるなんてことは滅多にありえないんです。
同じく、周りの人全員から嫌われるということも滅多にありえないんです。
誰かに嫌われるかもしれないという考え方は、自分のことを嫌いな人がいてもそれはごくごく自然なことで、なんら不思議なことではないということを受け入れる勇気を持ちましょうってことなんですね。
何でこんなことを書いたのかと言うと、ちょっと若い人から相談を受けたからなんです。
「うちの母親がこんなことをして恥ずかしい、友達に笑われる」
まぁ、本当に奇抜なことなら笑われるかもしれませんね、でも、だったらそれは笑い話にすればいいだけ。
話を聞くと、別段普通のことで、思春期の過度な思考からくる恥ずかしさであって、何らおかしくないことだったので、上記のようなことを話しました。
世間体。
そのほとんどは実体のないもので、自分の価値観を勝手に世間の常識と勘違いして周りから奇抜な目で見られるんじゃないかという固定観念なんです。
いい意味で、世間の人はその人やその家族のことなんて何見ていません。
むしろそれを見られていると思うことは自意識過剰と何ら変わらないものなのではないかなと思うのです。

